おひとりさまオーナーのWebマーケティング

私とヤマトさんのマル秘な話

荷物の配送は

仕事でもプライベートでも

ヤマト派な私です。

 

飛脚さんやポストマークに浮気をしたことはありますが

やはりクロネコちゃんに戻ります。

 

最近では、仕事はポストマークにお世話になることが多いですが

心に決めているのはクロネコちゃん。

だってやっぱり、

物心ついた時から身近であった存在は

大人になると情になり、

その情が覆るような裏切りもなく

逆にワガママを全て受け入れてくれるサービスは

あなたがいなかったら、私、もう生きていけない!

くらいの大きな存在になんですもの…

 

っていうのは大げさですが、

やはり痒い所に手が届くサービスは

受け取るお客さまの利便性を考えたらヤマトさんしか思い浮かびませんでした。

 

だから今は廃止になったメール便の利用でヤマトさんと契約をしたんです。

契約時に来られたのは担当のドライバーさんと強面のスーツのオジサマ。

その時に、なにげなく昔の話をしたら

強面のオジサマの顔が一気に緩んだんです。

「そんな話。知っている人少ないですよ。懐かしいですねー」って。

そうか。

私の思い出は、知っている人が少ない貴重なネタなんですね。

ってことで、

ヤマトさん秘話を一部ご紹介します。

 

 

私のヤマト運輸の最初の記憶。

それは実家が経営していた商店です。

 

宅急便の受付をしていたんですね。

 

今では想像もつかないかもしれませんが

当時はまだ、個人の自宅に荷物を届けてくれる小口の配送は数が少なくて、

宅急便というサービスがこれからどうなっていくかなんてわかりませんでした。

 

だってね。

この地域はお届けできません。

っていうのが普通にあったんですよ。

当時は幼かったので難しい話は分かりませんでしたが

地域や物流と言った複雑な関係があったのだと思います。

私が覚えているのは山梨県ですね。

東京からだと中央自動車道でスグなので

小さい頃にはよく遊びに行った場所なので覚えています。

山梨県への全地域配送が可能になったのって最後の方だったんじゃないかな?

 

ヤマトさんが集荷に来るまでは、

店のバックヤードが預かっている荷物で林のようになっていて、

その荷物を一つ一つチェックして、

店のスタッフと一緒に車に積んで、

ついでにお昼を買って去っていくドライバーさん。

 

ドライバーさんが荷物を引き取りに来ている時間に

預け駆け込みのお客さんが来て

おしゃべりしながら待つドライバーさん。

 

送り慣れない高齢のお客さまの送り状の手伝いはよくやりました。

 

ゴルフやスキーのサービスも始まり、

預かった荷物でバックヤードが林から森に代わり、

お中元やお歳暮、夏休みや年末年始の頃になると

森が樹海になっていました。

 

思い出してくと、キリがないですね。(^^)

 

これから、配送というサービスはもっともっと需要が増えていくでしょう。

そして今のシステムでのサービスは一番過多になっているのかもしれません。

 

今の継続というところでは、時間指定が減ることでコンビニ受取りの充実を。

と一部言われていますが、

コンビニ側の荷物の受け入れ態勢を整えるのは厳しいんじゃないかと思います。

配送会社も荷を持ってきたはいいが置けない。

なんてことにもなりかねませんしね。

 

世の中は常に変わっていきます。

変わらないことだって変わらないために変わっていくことがたくさんあります。

今の当たり前が、そのままであることは様々な努力の上に成り立っていることなんです。

 

変わったことで窮屈さを感じるのは当たり前。

そこから変われるか。変われないか。がキーポイントなんですよね。

 

それは社会だけでなく、私たち個人にも言えること。

趣味で楽しんでいたハンドメイドを仕事として関わるようになれば変わって当たり前。

その変化を恐れていては何も始められません。

 

一歩踏み出したくなったらワークショップにお越しください。

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